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わたしの前を黒猫が通り過ぎた。
お酒を割と飲んで深い話になった帰り道、黒猫がすっと通り過ぎることが多いように感じる。
黒猫が横切ると不幸なことになる、というジンクスがあるが、わたしはごくごく元気で健康である。
しかし言い伝えというのは妙なもので、そうなるだけでこれからわたしには不幸なことが舞い降りると思い込んでしまうのも事実。
その後財布を失くしたり携帯を落として画面が粉々になったり自分の中で抱え切れないような悩みに遭遇したりということもあった。
結果、財布も見つかったし、携帯も無事だったし、もやもやはすぐに晴れてしまったり。昨日まで落ち込んでいたわたしは、次の日には世の中捨てたもんじゃないな!と暢気に思う。
そうなった時には黒猫のことなんか忘れている。何か嫌なことがあったときにだけ「黒猫が横切ったのはそういうことだったのか」と、都合良く解釈する。
だが黒猫はきっと関係ない。ただ、わたしの目の前を横切っただけだ。
言い伝えや事象を前兆としてしまうのは人間の悪いところだ。
今日も結構お酒を飲んで、普段話せないことをたくさん話した。
いくつか思うところもあった。反省もあった。言うべきこともあった。言いそびれたこともあった。できなかった。
雨がざーざーと降っていたが、帰りはすっと止んでいた。
気分よく帰っていた。
わたしの前を黒猫が通り過ぎた。
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17日に展示が無事終わって良い誕生日を迎えて22歳になってからこうもガクッと落ちるのか〜!と言うほど落ちている
元気ないねって言われて自覚してからそう思い始めてしまって何となく気持ちが下がっている
本当はずっと下がっていたし理由もわかっているのだけど久しぶりに無気力、虚無感
普段は考えすぎて悩みすぎてごちゃごちゃとなる頭だけど、空っぽはもっと体に良くないことを知った
脳みそを常に動かさなくてはどんどん腐っていく気がする
普段がポジティブな分、ネガティブな自分がとても気持ち悪い
一年ぶりに電車に乗って競馬をみんなで見に行った
友達とのんびり遠くまでコンビニのアイスを求めて歩いた
銭湯に行って大きいお風呂で足を伸ばしてお湯に浸かった
展示を見て友達と将来のことや今のことをたくさん喋った
こうして少しずつ回復に向かっている気もするのだけど、どんよりとした気持ちがまだもやもやと浮いている
ちょっと立ち寄った古本屋で高校時代によく借りて読んでた好きだった漫画を見かけた
少し立ち読みして3冊くらい握ってすぐにレジに向かった
自分にしか解決できないことを抱えているとき救ってくれるのはいつも漫画な気がする
女の子しか無理
女の子をよく書きますが、なんで女じゃないとダメなのかな、とも思います。
もちろん女の子は可愛いし、美しいし、モデルとしてかなり魅力的。
でもわたしは別に男の子を書いたっていいわけです。何で書かないんだろ。
いつもいつも思ってたけど今ふと「自分が女だからか」という結論に辿り着いたのでした。
そもそも絵を書くことは自分の脳みそを投影する行為に等しいと思っています。
しかし絵を書いていくうちにもしかするとこれは自分の脳みそというよりも、自分の中に潜む何者が自身を投影しているに過ぎないんじゃないかと気付きました。これを思ったのも個展前くらいです。
人間を書くときは特にそうで、わたしの中にはたくさんの人が住んでいて、絵を書く時はわたしはわたしではなくわたしの中の、例えばマリコちゃんとか、ユキちゃんとかが絵を書いているんじゃないかと思う訳です。
(この文章は今真顔で打っていますが、冷静に見ると何言ってんだこいつ、となる。それくらいわたしにとって絵を書くことは日常の中の非日常な行為なのです)
話は戻して、わたしは女の子を書いている、というよりか、わたしの中には女の人がたくさん住んでいます。もしかしたら女しかいないのかも。
たぶんそれはわたしが女だからです。
人間が鳥や魚になれないように、女は男に、男は女になれないのだと思います。全然違う生き物で、きっと男女を人間というひとつの括りにするのは間違っているんでしょうね。
だからわたしはどう頑張っても男の子にはなれないし、これからも女の子ばかり書いていくことになるんだなーとぼんやり考えています。別に男の子を書いたっていいんだけど、それは女の子が書く男の子であって本物にはきっとなれないから、わたしには偽物の男の子しか一生描けないんだなーと思います。
まあ、来世はそういう意味でも男の子に生まれたい。現世は女に生まれたんだし、女の子、たくさん書いて、時々偽物の男の子も書こう。
月に負け犬
椎名林檎が大好きで、その中でも好きな曲は沢山あるのだが、「好きな人や物が多過ぎて見放されてしまいそうだ」というフレーズを思い返すことが多い。
それぞれの中で歌詞でも小説でも何かしらどこからともなく現れるフレーズってあると思うけど、わたしは月に負け犬の最初のフレーズがそうだ。
特にこの歌が一番というわけでもない。勿論好きだが、一番は選べないのでこういう言い方になってしまうけれど。
(補足としては、勝訴ストリップは一番好きなアルバムではある)
自分の中で局面だ、という場面で自然に湧き上がることもあったりすれば、幸せでたまらないときに思い出されたりもする。
ここ数年で専ら思い出されるので何かしらあるんだろうな、とは思っていたが何故かはよくわからないままでいた。
それがここ最近になって漸く、何となく、その訳がわかってきたように思う。
この歌を聴き始めて何年も経つけど、やっと。
そしてまた次の「去勢を張る気は無いのだけれど取り分け怖いものなどない」も沁み始めた。
また今日から、月に負け犬のワンコーラスが頭の中で度々鳴ることだろう。
明日くたばるかもしれないけど。
しあわせハッピーライフ
みぎまつあや個展、しあわせハッピーライフ、無事終了しました!
しあわせハッピーと言いながらも実は平凡過ぎる自分に対してのコンプレックスから始まったものでした。そこから今までのことを振り返って本当に普通なだけだったのか問うてみたら、全然根拠はないのですが、あ、わたしめちゃくちゃしあわせじゃ〜んとふと思えたわけです。そういうわけで平凡な生活の中にもたくさんのしあわせがあるんだぞ〜というメッセージをこっそり込めておりました。
机置いたり(山田純くんが作ってくれました。ありがとう!)、布団敷いたり、まるで遊びに来たような感覚になればな〜という思いで空間作りをしましたが、皆さんだいぶくつろいでいらしたのでしたり顔でした。ばんざい!
作品数も結構用意できてよかったです。ドローイングは展示期間中も書いていたので、それも合わせたら60は超えていたかな〜と思います。もっといけたかなとも思います。まあそれはまた次頑張ります!
初めて一人ですることだったので不安でいっぱいでしたが、無事かたちにできました。今回ばかりは自分はやればできる子だと褒めてあげたいです!
いろんな方に来て頂き、お褒めの言葉を頂き若干調子に乗っちゃうくらいいい展示だったのではないかな〜と思っております。まだまだだなと思われる方もおられるでしょうが、私自身としては初めてでこれだけ好き勝手やれたことに満足しております。頑張ってお布団運んでよかったです。
思うように制作が進まない日もありましたが、周りの楽しみにしてるよ〜という何気ない一言で次の日は俄然頑張れましたし、友達に頼りまくって搬入までの二週間くらいだいぶリラックスして過ごせていたなと思います。本当に感謝しかありません!
展示をしたことで右松理からみぎまつあやになれたように思えます。
これからは展示もまたやってみたいけどとりあえずわたしの中で一区切りつけることができたので、次のステップに進みたいの〜ということで頑張って行こうと思います。
何をしていくかはもう決めていますので、わたしの絵を見る中でそれがちゃんと伝わるように精進していくつもりです。
いろんな物事に今まで通り流されながらマイペースに頑張っていこうと思います。
最終的に自分でも実感できるくらい2、3年後大きな変化がじわじわ出せたらなと思います。
最後になりましたが、お越し頂いた皆様、差し入れをくださった皆様、メッセージを送ってくださった皆様、様々なかたちで支えてくれた皆様、家族、搬出搬入の手伝いをしてくれたわたしの友達、個展をするに当たって背中を押してくださいましたももかさん、展示をさせて頂きましたcumono galleryさん、そして企画段階から最後まで大変お世話になりましたキムさん、本当に本当にありがとうございました!
みなさまにしあわせハッピーが訪れますように!
2015.3.17 みぎまつあや