さわやか戦略

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女の子しか無理

女の子をよく書きますが、なんで女じゃないとダメなのかな、とも思います。

もちろん女の子は可愛いし、美しいし、モデルとしてかなり魅力的。

でもわたしは別に男の子を書いたっていいわけです。何で書かないんだろ。

いつもいつも思ってたけど今ふと「自分が女だからか」という結論に辿り着いたのでした。

 

そもそも絵を書くことは自分の脳みそを投影する行為に等しいと思っています。

しかし絵を書いていくうちにもしかするとこれは自分の脳みそというよりも、自分の中に潜む何者が自身を投影しているに過ぎないんじゃないかと気付きました。これを思ったのも個展前くらいです。

人間を書くときは特にそうで、わたしの中にはたくさんの人が住んでいて、絵を書く時はわたしはわたしではなくわたしの中の、例えばマリコちゃんとか、ユキちゃんとかが絵を書いているんじゃないかと思う訳です。

(この文章は今真顔で打っていますが、冷静に見ると何言ってんだこいつ、となる。それくらいわたしにとって絵を書くことは日常の中の非日常な行為なのです)

 

話は戻して、わたしは女の子を書いている、というよりか、わたしの中には女の人がたくさん住んでいます。もしかしたら女しかいないのかも。

たぶんそれはわたしが女だからです。

人間が鳥や魚になれないように、女は男に、男は女になれないのだと思います。全然違う生き物で、きっと男女を人間というひとつの括りにするのは間違っているんでしょうね。

だからわたしはどう頑張っても男の子にはなれないし、これからも女の子ばかり書いていくことになるんだなーとぼんやり考えています。別に男の子を書いたっていいんだけど、それは女の子が書く男の子であって本物にはきっとなれないから、わたしには偽物の男の子しか一生描けないんだなーと思います。

まあ、来世はそういう意味でも男の子に生まれたい。現世は女に生まれたんだし、女の子、たくさん書いて、時々偽物の男の子も書こう。